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ほんばこ 第二回 「ローマ人の物語 第Ⅹ巻」


塩野 七生 著
新潮社 刊

 塩野七生の『ローマ人の物語』は、2006年12月に刊行が終了した彼女の長編作品。
 それまで全15巻を毎年1冊ずつ刊行した。
 彼女のローマのテヴェレ河沿いの自宅書斎で、1月から4月までは古代ローマに関する勉強、5月から8月にかけて執筆、9月から11月に原稿構成と図版や地図作成というのが、毎年のスケジュールだった。
 12月は日本に帰国し、インタビューを受けたり、対談に参加したりして、翌年の執筆準備に備えていたと語っている。

 この作品を最初に読んだときは、魅力的な登場人物、例えば宿敵ハンニバル、英雄ユリウス・カエサルの活躍など興味深く展開する古代ローマ帝国のスペクタルに次巻が刊行されるのが、待ち遠しかったことを憶えている。
  しかし、この15巻の内、第Ⅹ巻は副題を―すべての道はローマに通ず―として、ローマ帝国の各種インフラについて考察した特別な一巻だ。
 最初に読んだこのⅩ巻は、政争や戦争が展開するわけでもないので、ザッと読み通しただけの印象しか残っていなかった。
 今回、読み返してみて全く違う印象を受けた。

 ローマ人のインフラに関するコンセプトは、「人間らしい生活をおくるためには必要な事業」だそうだ。
 ローマ人は、インフラを「公」がやるべきことと考えて疑わず、このコンセプトはローマ帝国が正常に存続していた間、全く変わらなかった。

 ハードなインフラの代表は、交通手段としての街道である。道路とは、国家にとって動脈であるという確信。道路自体ならば、ローマ人の発明ではない。
 しかし、常にメンテナンスを忘れないでネットワーク化して活用したのは、ローマ人の独創である。
 最初に建設された「アッピア街道」はBC312年に着工され、70年かけて全線を開通させている。
 それから20年後に、地球の反対側の古代中国では、秦の始皇帝によって万里の長城の建設が始まっている。
 人の往来を遮断する万里の長城(全長約5,000㎞)に対して、人の往来を促進するのが、ローマ街道網(幹線約8,000㎞、支線を含めると約150,000㎞)である。
 立案者で工事の最高責任者でもあったアッピウスは、街道の平坦度を確かめるために、サンダルを脱いで素足で歩いてみたという。
 また、幹線であっただけに、修理修復には専門の官職を設置して、その人に全権を与えている。
 現在、我々がローマ史跡として写真で見るアッピア街道は、すり減った丸石の間に風が運んできた土がたまって草が繁茂している状態の道であるが、当時の街道は、車道が対向2車線の幅4m強の石畳道(路盤は約1.0~1.5m)、その両側に排水溝が設置され、その外両側に3m前後の歩道が整備されていた。
 そのため、馬を駆っての一日の踏破距離70㎞が確保されていた。
 そのような幹線道路は、どんなに素晴らしいインフラであったかと感心させられる。
 ローマ時代のエンジニアたちは、百年間は修理の必要のない道をつくったと豪語したが、敷設当初の状態を維持したければ、普段のメンテナンスは絶対に必要だった。
 メンテナンスの欠如とは、それを担当していた組織が機能しなくなるから生ずる現象であるが、西ローマ帝国が476年に滅んで約300年後にアッピア街道を利用したビザンチン帝国の高官が、その素晴らしさを記録に残している。

 もう一つのハードなインフラの代表は、上水道である。
 アッピア街道と同じく紀元前312年に着工されたローマ最初の上水道は、街道と同じに立案者兼最高責任者の家門名をとって、「アッピア水道」と名付けられた。
 「アッピア水道」は、その後のすべてのローマ水道の基本型である。
 また、私たちはローマ水道と云えば、ローマ帝国各地に今でものこっている地上に高々と建っているローマ遺跡の高架水道橋を想いうかべるが、ローマで造られた水道は、地上と地下の比率は、2対4か5程度で、地下の坑道を通す距離のほうが長い(アッピア水道は、99%が地下坑道)ことを知らされて、写真を観て認識しているローマ水道橋と実態との乖離に驚いた。
 地下坑道の比率が大きい理由として、来襲してきた敵に破壊されないためであったと云う研究者もいるが、流水中の水の温度の上昇を押さえるためであり、流水中の水分の蒸発を防ぐためであったと云う。
 水道建設の最大の目的は、良質の水を確実に、常時市民に提供することにあった。
 その上水道のメンテナンスのために、坑道には丘の上からも下に向けて、一定の距離ごとに複数の縦穴を掘削していた。坑道内の水路の清掃を怠れば、石灰分が附着し水路を狭隘にした。また、上水道橋では石灰分の附着がひどくなるとその間を流れる水の圧力の増大につながり、水道橋自体の構造にも影響を与えることになる。
 首都ローマに水を送り込んでいた11本の水道は、紀元538年の蛮族浸入によって、その機能を停められてしまうが、それまで実に850年もの歳月、地味な作業であるメンテナンスを欠かさず修理修復を繰り返していたローマ人の気質に頭が下がる思いである。

  現在の日本にも、戦後からの復興に伴って多くのインフラが構築されているが、その多くがメンテナンス不足でその弊害が顕在化してきている。
 各種のインフラを調査・補修・補強するためのコンセプト・組織・財源・人材も整備されているとは云えない現状を鑑みると、古代ローマ人のインフラに関する息の長い取り組みの姿勢に学ぶべきことは多い。



石山テクノ建設株式会社 顧問 坂本良高


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