(20)王政復古の木



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  明治に天皇制が復活し、神仏分離や神道国教化政策の中で、寺は半分くらいに減ったが、神社は新たに造営された。その目的は、記紀神話などに記された神々 、皇統につらなる人々と、国家に功績ある人々を国家的に祭祀し、そのことによってこれらの神々の祟りを避け,その冥護を得ようという思想とされる。こうして造られた神社は、 京都で白峯神宮、護王神社、梨木神社、建勲神社、豊国廟等があり、京都以外にも数多く造られている。
  明治天皇は、明治5年に国民に先駆け洋装を取り入れ、宮中の廊下に絨毯が敷かれて椅子式の生活を始め国内の巡幸は燕尾服を着用し、騎馬で行われた。 この巡幸でニューモードの天皇を迎えた民衆の方は伝統的な人神観念を抜け出しておらず、とまどいがあった。皇居も洋式に建て替える計画があったが、周囲の反対があって実現しなかった。 西洋式のイス座生活の中での伝統的な儀式は今も続いている。
  この時代に建てられた白峯神宮と護王神社には招霊木(オガタマの木)がある、天照大神の伝説のある高千穂神宮にも招霊木がある。元々榊でなく招霊木が神事に使われていたということだから、 天皇制と共に復活したらしい。明治18年に創建された三条実美を祭った梨木神社本殿の門の両脇には、招霊木でなく榊が植えられている。天皇とは縁のない、 平安時代に創設された岡崎神社には本殿の両脇に招霊木が植えられているが明治時代に植え替えられたのかもしれないし、樹木の大きさから推定すれば、昭和かもしれない。同じ時代に創建された上御霊神社や、 下御霊神社は本殿の両脇は榊だが、別の場所に招霊木が植えられている。上御霊神社の近くの出雲路幸神社では、両脇の榊に加えて、左側に招霊木が並んで植えられている。
  このような事例を見ると、明治に招霊木は天照大神以来の神木として復活を遂げたが、神道国教化が挫折したように、その影響は限られた範囲にとどまったと、見ることが出来ないか。榊より大きくなり樹形もいいのだが。
小林一彦建築設計事務所 小林一彦