(26)西郷隆盛とオガタマ



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  鹿児島市のシンボルは桜島である。08年ヒットしたNHKの大河ドラマ「篤姫」でも繰り返し桜島の風景が写されていた。鹿児島市は西側が高く、東側の桜島のある錦江湾に開けている。 島津藩の居城であった鶴丸城祉も神社仏閣、主なホテル等も東向きである。また西郷や大久保など明治維新の立役者の銅像も東面して建っている。これは地形上、景観上の必然である。
  西南戦争の最後の決戦場となった城山での戦死者を埋葬する必要から墓地、遅れて墓参者のため南州神社は造られた。鶴丸城址から北方1キロほどの東面した小高い丘の上にある。 参道の階段を上がると正面に西郷隆盛の墓がある、傍には桐野利明や村田新八などの墓石があり、全体では7〜8百ほどかなりの密度で累々と並んでいる。よく清掃されていて、大事に管理されていることが伝わり、 厳粛な雰囲気が保たれている。社殿は墓地の前面広場の東側に参道がありその奥の正面にある。西郷の墓石が主役、社殿は脇役である。その参道の入り口右側に市の保存樹に指定された樹齢130年の「オガタマ」の大木がある。 その傍に二股に枝分かれした榊の大木がある。前面広場には他に地元の団体が奉納した2本の「オガタマ」の木もある。東京市から奉納された灯篭や勝海舟の歌碑など西郷を慕う様々な人達から奉納された物が形としては不揃いだが多数存在しており、 この神社に独得の人間臭さを感じる要因となっている。
  鹿児島の中心街の近く城山の麓に島津斉彬を祀った別格官幣大社照国神社がある。城山を背に、桜島に東面した立地上は最高の場所である。ここはあくまで官幣大社で南州のような雰囲気は感じられない。 鹿児島では自然のシンボルが桜島なら人間のシンボルは西郷である。
  西郷は、生前から人を引きつける人望が篤く英雄だったが、現代でも「敬天愛人」という教えは遺訓として多くの出版物に取り上げられている。社殿の様式は「流造」で照国神社や八坂神社等社殿の様式と同じ 一般的な型で特別の意図は読み取れない。 鳥居は国家に殉じた人々を祀る靖国型なのは理解に苦しむが、それに準じた扱いをしたのだろうか。
  「オガタマ」は明治に復活した天皇の系譜に連なる木である。西郷は反乱軍の大将であり、民衆の木といわれる「クスノキ」の方が似合うが、何故か「オガタマ」が植えられている。 この神社は私的な要素と黙認された公的な要素が混在した神社である、西郷はそのように両義的な存在だったことを意味しているのだろうか。
  
小林一彦建築設計事務所 小林一彦