(27)旧島津家玉里庭園



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  玉里庭園は鹿児島市北部丘陵、愛宕山の西麓に位置し、島津家第27代当主島津斎興(1791〜1859)によって1835年に造営されたと伝えられる。 江戸時代末期の造園形式で、「上御庭」と「下御庭」で構成されている。このような形式の庭園は鹿児島では例がなく貴重な存在とされている。「下御庭」は大きな改変を受けていないことから「国指定名勝」に指定されている。
  「下御庭」は敷地北よりに茶室が建ち、その南側に広い池があって、回遊する園路が作られている典型的な池泉回遊式庭園である。大名庭園には回遊する池、グランドカバーとしての芝生や築山、 藤棚などが必須の要素になっているがこの庭園は回遊池と藤棚はあるが築山、芝生はなく、またスケールの点からも大名庭園とは趣が異なっている。明治後半になると、池にせせらぎを取り入れたり、 四季のうつろいを感じる雑木を植えるなど西洋の影響を受けて自然風の新しい造園手法が流行るが、そのような痕跡は見られない。ただ茶室の傍にある樹齢180年とされる鹿児島市指定の保存樹タイサンボクが植えられている周りは、 明治期に改修されたのではないだろうか。タイサンボクは明治6年にアメリカから日本に寄贈されたものなので勘定があわないということは別にして、この木の周りはオープンスペースになっていて潅木は植えられていない、 従ってかつて芝生だった可能性がある。グランドカバーが芝生だから西洋風とはいえないが、タイサンボクは白く大きな花に特徴があって日本各地に瞬く間に普及している。今では洋風とは誰も思わないが、 当時は珍しく洋風と意識して植えられた可能性がある。明治の面影と見ることが出来る。
  植栽は松、モミジ、カシなどの日本庭園の標準的な樹木構成である。見かけない木としてはイスノキがあった、当初から植えられていたのか分からないがこのような庭園には珍しい。 上り坂の園路の被覆した土が流れて剥き出しになった無数の根は、ガジュマルの気根を連想させて南国らしさを感じさせている。鹿児島の庭園を見てなりより鹿児島らしさを感じるのは溶岩の赤黒色の石である、 ここは土の色も同じである。京都の色、白い花崗岩と白川砂とは対照的である。
小林一彦建築設計事務所 小林一彦